裏うぉっちング!!!

オタク、サブカルなどの理屈っぽい話はこちらで。

あなたにとってのクソゲーは、私にとっての神ゲーです

最近、まわりでやたらと「SHIROBAKO」が評価を受けているのが気になっている。
クソアニメだとは思わないけど、個人的にはそこまで響くものはなかった。

特に評価の高い複数名に尋ねてみると、以下のような答えが。
「ちょうど内定をもらい、社会人を前にする自分の立場とシンクロした」
「自分も若手だし、一生懸命働く姿に共感できる」

つまり、そういうことなのだ。

「そういうこと」が何を指すか説明する前に、
とある書籍を紹介したい。

4Gamerに連載されたドワンゴ創業者の川上量生氏の対談集(と一概には言えない何か)「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」だ。

 

ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!

ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!

 

 

Kindleだと1620円なのだが、1日限定で180円で販売していたので速攻でダウンロード。当時から大好きな連載だったが、連載開始から数年経った今読んでも十分面白い。というか、グリーやDeNAが全盛期のときでもあり、今読むからこそ味わい深い何かがこみ上げてくる。

特に「コンテンツ」についての川上氏や当時のドワンゴ社員(と、おそらく編集がめちゃ大変な対談をとりまとめた4Gamer編集者)の議論は面白い。


良いコンテンツは「分かりそうで分からないもの」

川上氏いわく、「分かりそうで分からないもの」が良いコンテンツ。説明できるものは誰でもコピれる取るに足らないもので、全く理解できないものはそもそも興味の対象外。でも、説明できないからビジネスとしてそれを作ってお金を稼ぐのはそれはまぁ難しいのだと。

最初のニコニコ大会議を開催した直後のタイミングで行われた対談でも、話題の中心はやはりコンテンツ論。そこで出たのは、時代を超えて普遍的に受け入れられるコンテンツなんてものはなくて、結局各々が自分の思いを乗せられたり、物語性や神話性があったりするコンテンツが良いコンテンツなんじゃないかと。


つまり、そういうことなのだ。


新卒や若手社員がSHIROBAKOに自分の姿を重ねたように、自分の物語とシンクロできるコンテンツはその人にとっては良アニメであり、良ゲーであるし、全く響かない人にはそれはクソアニメやクソゲーであるかもしれないし、そもそも興味の対象外かもしれない。

ネットにはアニメ、映画、ゲームなどあらゆるコンテンツを批評するテキストがあふれている。もちろん、それは昔から本や新聞、テレビなど従来のメディアでもなされてきたものだ。でも、コンテンツ自体を理詰めでああだこうだ批評しても、結局コンテンツを消費する人の属性や環境、態度による要因の方が大きいという身もふたもない現実がある。(これまで散々書評してきたし、これからもしていくので批評行為自体を否定するわけではない)


この映画は監督が素晴らしい、構成が素晴らしい、ゲームのシナリオが素晴らしい、キャラクターデザインが素晴らしい、このミステリーはトリックが素晴らしい。

 

よく聞く話だ。


でもね、そんなのは、


この監督スキー、なんかわかんないけど面白い、キャラ萌え~、なるほど気分爽快
みたいな言葉で簡単に片付けられる。

 

言葉で説明できない、長年積み重ねられてきた各々の根源的な欲求に依存しているように思う。
とどのつまり、自分の家の本棚をさらすことは、自分の性癖や人生を晒すようなものだ。自分の考えや価値観なんかが全部反映されているわけだし。

 

結局「自分にとっての○○」でしか語れない

自分の経験に照らしてみても、

 

子供の頃は自分の年齢に近い主人公たちが戦う作品ばかり見ていたし、
学生時代に運動部で一生懸命頑張っていたときは熱血スポーツ漫画にハマった。
オタク気質なので、オタクたちを中心に話が展開する「げんしけん」も好きな作品だ。

多感な時期に出会った作品は特に思い入れが強い。
小学生のときはポケモンと同等かそれ以上に「メダロット」にハマっていたわけだが、もし初めてメダロットを見るのが成人した後だったら、やっぱりあのときほどハマってなかったと思う。
メダロットはいまだに好きで、実家に帰るとまだメダロットのゲームをやっているのかと母親に呆れられるほどだ。
でも、子供の頃の原体験ってそういうもので。
大人になっても好きなものは好きなのだ。思い出補正で美化されすぎてるかもしれないけど。


ちょっと話はそれるが、小学1年生のとき、「おはスタ」のCM中にアニメ「ラブひな」の宣伝が流れたことが衝撃だった。


見たいじゃないですか、ラブひな

もう気になっておはスタどころじゃないですよ。


だが、小1でラブひなを見るのはハードル高い。
当時はネットなんてないから、ネット動画をぱぱっと見ることもできない。
深夜アニメをVHSで録画したくても、家族共用テレビだから親に一発でバレて終わり。
なので、新聞のテレビ欄を見ながら、あぁ今日はこういう話やるんだなって、CMで流れたワンシーンだけでラブコメのイメージを勝手に膨らませてるわけですよ。

でも、それはまだ子供だったからなんとかして見たいという気持ちが強くて、いわば“小1プレミアム補正”が付いていたわけで。成人したあとにラブひなを見ても「あぁ普通に面白かった」で終わって、小1で見たときと同じ感動と衝撃は得られないと思う。

 

別に小1が見ても騒ぐような内容じゃないけど、「おはスタ」で「学級王ヤマザキ」とか見てるノリでCM流されると電撃走る!ってなりますよね。マガジンやチャンピオンの作品って、やっぱりコロコロやボンボンに出てくるものと全然違うし(ボンボンはちょっと大人びた作品が多かったけど)。実際、小学校高学年になって隣町のブックオフまでチャリ飛ばしてラブひなの中古本を買いにいったけど、まぁ面白かった。一心不乱でチャリを飛ばしましたよ。続きが見たくてしょうがなくて。


話を元に戻しますと。

例えば、SFやミステリーなど直接自分のバックグラウンドに関係ない作品を好きになることもあると思う。そこには、自分の生育環境なりなんなりで引っかかるポイントがあるから。
たまに「おすすめの本教えてよ」なんて言われるけど、その人がどんな性格で、普段どんな生活をしていて、どんなコンテンツを消費する人か、かなり詳しく聞かないとおすすめなんてできない。
テキトーにおすすめしてほしいのならGoogleAmazonに聞いた方が早いよ。


つまり、どれだけ客観的かつ論理的にコンテンツを批評しているものでも、結局それは「自分にとっての○○」というものさしでしか語れないのだと思う。私がクソアニメ認定したものを誰かは神アニメ認定するし、誰かがクソゲー認定したものを私は神ゲーだと思うのだ。

そう考えると、これはクソアニメ、あれはクソゲーという議論がいかに不毛であるかが分かる。
その議論はいつまでも「僕にとってのクソアニメ」「私にとってのクソゲー」でしかない。


一方で、自分とはほど遠い世界にあるものでも思わず惹かれてしまう、というのもよくある話だ。
おとなしそうな人が猟奇殺人的な作品を好んだり、屈強そうな男性が少女漫画が好きだったり、それはもう本人の好みだ。裏社会とかアングラなものが多くの人を関心を引くのもそういう怖い物見たさ、珍しさみたいなものが要因の1つとしてある。


そして余談(影の本編)

私はADVゲームが好きで、特に「街」ホワイトアルバム2」はもう最高の名作だと思っているのだけれど、1つだけどうにもこうにもハマれなすぎて思わずクソゲー認定してしまいそうな作品がある。


ずばり、「俺たちに翼はない」(Vita版)だ。

 

俺たちに翼はない (通常版)

俺たちに翼はない (通常版)

 

 


キャラに感情移入ができず、永遠と起伏のない漫談を見せられる。
アニメやPCゲームの評価が高いからプレイしてみたものの、やはり食べログの評価と同じで星4つが付いていても自分の舌に合わないと意味がないのだ。


どういうバックグラウンドがあればハマることができるのか見当がつかず、ハマれない自分が悪いのだと自分を責めてWikipediaや関連サイトなどで情報を集めてモチベーションを高めたが無駄だった。この前久々にソフトを起動したら最終データが2014年7月で、そのとき苦虫をかみつぶすような思いで電源をオフにした記憶がよみがえってきた。とにかく苦痛だった記憶がある。


でも、ここまで理由が分からずソリが合わないゲームも珍しい。
そんな理由で、完全クリアすることを人知れず人生の義務として背負うことにしたのだ。もう、墓場まで持っていく。
「分かりそうで分からない」どころか、「まったくもって何が面白いか意味不明。だけどやめられない」コンテンツ。
もはや呪いだ。


結局、今知りたいことはただ1つ。
どうすればおれつばを楽しめるのか。

神ゲー認定している人のレビューも読んだけど、まるで違うゲームをプレイしているかのような感覚になってしまい、全く頭に入ってこなかった。

 

心を無にして、今年中のクリアを目指したいと思う。