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【書評】木原直哉著「運と実力の間 不完全情報(人生・ビジネス・投資)ゲームの制し方」 コンピュータの時代に、人間が打つ意味とは

運と実力の間(あわい)―不完全情報ゲーム(人生・ビジネス・投資)の制し方―

運と実力の間(あわい)―不完全情報ゲーム(人生・ビジネス・投資)の制し方―

 「東大卒の日本人初ポーカー世界チャンピオン」というのが著者の肩書きだ。その一風変わったプロフィールに、格闘ゲームで世界一となった梅原大吾氏がどこか重なる。実際、与えられた情報をフル活用し、人読みと計算で切磋琢磨しまう点では両者は共通しているし、大体のアナログゲームやデジタルゲームはそのような類のものとしてくくれる。

 

【書評】と銘打ちながら、実はここ最近の関心である「人間とコンピューターの思考の関係はどうなっていくのか」をまずは書きたい。書評については後半で触れるが、一言でいうと前半はタイトルを意識したライフハックで後半は旅行記・大会レポという印象だった。

 

さて、私自身がわずかなキャリアながらポーカーをプレイする中で、「いずれはポーカーも将棋のようにコンピューターに追いつかれる日が来るのではないか」と感じることがある。ニコ生で中継をしていた将棋の電脳戦レポを読む中で、「完全情報ゲームである将棋ではコンピューターは人に追いついている(もしくは、追い越した)。では、不完全情報ゲームであるポーカーは、どうなのだろう。主にオンラインで活躍している木原プロはデジタルな思考についてどう考えているのか」ということを知りたいと思った。電脳戦のレポで我々はすでに「コンピューター全盛の時代に、人間が将棋を指す意味とは」という命題をつきつけられてしまった。人々がそこに求めるのは、人間ドラマなのか、はたまた人間が持つイレギュラーな面白さなのか。

●“魅せる”梅原氏と“勝ちたい”木原氏

梅原氏の自伝を読んだこともあり、どうしても両者を比べてしまう。ちきりん女史も梅原氏と対談していたが、似たような何かを感じたのか、Twitterで木原氏にも「今度お話聞かせてください!」と絡んでいた。何か対談のような形になればぜひ読んでみたい。両者は一般的にマイナーな世界でプロになり、世界一となっている。個人的には、梅原氏はかなりストイックで、将来自身がスポットライトを浴びたときのためにインタビューの答えを用意しておくような“人間くさく熱い男”な一方で、木原氏は淡々と任務を遂行する“クレバーな現代っ子”という印象を受けた。本書を読むと木原氏もかなりストイックで並々ならぬ努力を重ねているのだが、純粋に「競争好き」の節があるように思える。梅原氏が極度の負けず嫌いならば、木原氏は極度の競争好きなのだろう。どちらも天性のものだ。

 

さらに両者で異なると感じたのは、プロプレイヤーとしてのスタンスだ。“魅せる”プレーを重視する梅原氏に対して、木原氏はプロとしては当たり前だが「勝つ」ことが第一にある。それは、大学時代にプロ雀士になり、ポーカープレイヤーでもある小倉氏を本書で引用する場面でも顕著だ。木原氏は、現代のオンライン出身のプレーヤーはライブのプレーヤーより強いという趣旨の主張をする中で、その代表格として小倉氏をさせた。ネット麻雀出身で、スピードを重視するデジタル打ちをする小倉氏は、一部では「タコ麻雀」「下手くそ」などと揶揄されるという。効率的な考えと勝利を重視するオンラインプレーヤーの木原氏としても、今後ポーカー界を席巻するのはオンライン出身でデジタル的思考を持つプレーヤーであり、自身も強くあり続けるためにそれを強く肯定する。

 

実は、私が本書で読みたかった部分は、まさにここだったのだ。美意識の強い梅原氏は、勝ち続けることの重要性を説く一方で、プロとして“魅せる”勝ち方にこだわっている。相手の弱点をつくのはナンセンスで、相手の得意なスタイルを打ち破ってこそ本当の勝利だと言い切ってしまう辺りがとても人間的だ。電脳戦でつきつけられた「人間が将棋を指す意味」について、別ジャンルながら梅原は一つの答えを出してくれた。相手の弱点をつき、最善手を導き出すことに長けたコンピューターには、人の心を動かすような人間ドラマは作り出せない。多くの人が固唾をのんで電脳戦を見守り、その結果に一喜一憂したのも、そこで意外な結末、物語、ドラマが展開されていたからだろう。

1981年生まれで、木原氏と梅原氏は同じ年なのだが、両者の本から読み取れる人間性は異なる様相を見せた。

ちきりん女子のエントリを参考にすると、徹底的に調べつくす「研究者」としての面が大きい木原氏と、言葉にできない感動を持つ「芸術家」としての面が大きい梅原氏の違いになる。木原氏は著書の中でも「物理学的にポーカーをする」と言っている。経験則的なアプローチで、勝てそうな方法をどんどん試してみるという意味だが、この物言いにも木原氏の研究者気質が表れている。魅せるよりも、勝つ。プロとして勝ち続けることに意味を見出し、そこに全力を注ぐのが木原氏だ。

 

●想定読者は、一般人とポーカープレイヤーの間(あわい)?

さて、いろいろ書いてきたが、電脳戦で「コンピューターは、手数の組み合わせが莫大にある序盤の大局観がない」と分かったため、ポーカーのようなあまりに不完全な情報が多すぎるゲームではまだまだ人間に圧勝できるレベルにはならないだろう。

 

と、一安心(?)したところで、ようやく書評らしきものを。本書は、当初「東大卒、ポーカー世界チャンピオン 勝利の手の内」が仮タイトルだったと記憶しているが、そちらのほうがタイトル的には合っていた。あまりにビジネス書の体裁を意識しすぎてライフハック的タイトルになっているが、少なくとも不完全情報ゲームの制し方を意識して書かれているのは前半部分だけだ。後半はWSOP(ポーカーの世界選手権)のレポ・旅行記で、ポーカーを知らない一般人が見てもほとんどわけの分からない内容になっている。その一方で、ポーカーを知らない人向けに「レイズ」や「ベット」など一般的な用語にすべて注釈が入っているので、知っている人にはわずらわしく感じるので、段々誰向けに書かれているのか分からなくなる。タイトルをもじると、「一般人とポーカープレイヤー間(あわい)」と言ったところか。あわいの層の市場規模が分からないが。

 

これは書き手の問題ではなく、本全体の体裁の問題だ。各章の見出しだけを取り出しても、「1 みずから競争に参加する」「2 強くなれる場に飛び込む」「3 スタートの環境は厳選する」というライフハック的な内容だったのが、後半は「16 初めてのWSOP」「17 WSOP2012」「18 DAY2、オールイン8連勝!」「19 WSOP2012で日本人初の優勝!」とWSOP日記になっていることが分かる。

梅原氏の本は、一般的にビジネスの場でどう役立つかに無理やりにでも結びつけていたが、本書は10章辺りからそのような一般化は姿を消し、ポーカーに特化した話になっていく。よくあるプロ棋士の自伝や梅原氏の自伝のようなノリで、タイトル買いしてしまうと、一般人は途中からついていけなくなると思う。ネットの口コミを見ていても、ほとんどポーカープレイヤーの感想なので、一般人の感想も知りたいところだ。

あとは、単純に誤植が目立った。p76-77の引用。

 相手が降りた場合の相手のハンドは残らないため、点検の時であっても、ゲームを実際にプレーしている時と同じく相手のハンドはわかりません。相手のハンドの可能性はいくつもあるわけです。その可能性の見積もりが間違っているのではないか、もっと良いプレーがあったのではないかという感じで点検するわけです。

  点検時のデータは自分のハンドだけです。ゲーム時と同じく相手のハンドは分かりません。相手のハンドの可能性はいくつもあるわけです。その可能性への見積もり方が間違っているのではないかという感じで点検するわけです。

 「大事なことなので二度言いました」状態になっている。これはミスだろう。

また、p188でメイク375の数字部分がなぜかフロップの表記になっていたりと、細かな点が気になった。さらに、ポーカーと一口でいっても、手札が5枚のドローポーカーが主流の日本において、「手札4枚のうち2枚を使う、オマハです!」と言われても、ふつうは何のこっちゃ分からない。

 

ただ、トランプを単行本でどう表現するかは気になっていたところで、1ページ目でバカでかいトランプが出てきたときはぎょっとしたが、麻雀本の牌のようにカード内に数字のみが表記されるコンパクトなデザインは新鮮だった。「麻雀放浪記」や「ドサ健博打地獄」などで馴染みの深い、活字の間に牌が並ぶ感覚に似たものを楽しめる。

また、木原氏が時計の秒針を見てランダムにブラフを打つタイミングを計っていることなど、プレイヤーとして興味深い話も非常に多かった。読み始めると、学ぶことの多いものだと思う。

本書の最後の小見出しが「もはや、やりたい放題」だったのは面白かった。読者も同じ思いを胸に本書を閉じていることだろう。

麻雀放浪記(一) 青春編 (角川文庫)

麻雀放浪記(一) 青春編 (角川文庫)