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裏うぉっちング!!!

オタク、サブカルなどの理屈っぽい話はこちらで。

【書評】「ロスジェネ心理学」 非ロスジェネ世代の一感想

やや機を逸してしまったが、シロクマ先生の著書の感想を書きたいと思う。本自体はかなり前に読了していたが、なかなかブログを書くまでにいたらなかった。書く時間が取れなかったこともあるが、そんなものは大した理由ではない。一番の理由は、ほかの読者がどのような感想を抱いているのかを確認したかったからだ。

 

  • 全てを世代論に還元させるタイプの人と個人論にしか還元できない人

極端な例を2つ挙げたが、 乱暴にロスジェネ世代と思しき人たちの反応をわけると大方上記のようになるのではないか。もちろん、自分で観測できる範囲は狭い。そして、それは本書の肝でもある。著者の個人的な視点が強すぎるという批判もできると思うし、それ故に著者にしか書けない唯一無二の1冊だとも言える。

 

これは歴史の叙述に似ている。イギリス人に関する、冗談のような例え話がある。ある人が「戦争はいけないことだ」と言う。すると、イギリス人は「君が言っているのは、どの時代のどこで起きた戦争のことを言っているんだい?」と返すのだ。具体的・実証的・経験的で伝統や歴史を重んじるイギリス人ならではの思考だ。著者がイギリス人っぽいという話ではなくて、抽象的な一般論で理論を振りかざすタイプの本ではないということが言いたい。そして、あまりに具体的な内容であると、「これは自分のことが書かれている本だ」と思う人が出てきても不思議はない。「世代論」に還元するタイプの人は理論タイプであるし、個人論に還元するタイプの人は実践(実証)タイプの人だ。

 

ネットの反応を見ると、圧倒的に後者が多いように思う。自分の場合に引きつけて、ここが当てはまる、ここは違うな、という具合に。まさに自己愛が表面化しやすいネットの特徴によるところもあるのではないかと思う。だが、リアルでロスジェネ世代に話を聞くと、私の場合は世代論に固執する人に会うことが多かった。私のクラスタの問題もあるが、理論派が多く、彼ら/彼女らは団塊世代への怨念のようなものを強く抱えている。何もしてこなかった団塊世代への恨み辛みだ。そして、自分たちがここまで割を食うことになってしまったと。

 

だが、世代論と個人論という考え方の違いがあるように、ロスジェネ世代の実態も人によってかなり異なるものであるはずだ。例えば最近だとロスジェネ世代のフリーライターやジャーナリストなどの活躍が目立つ。津田大介さん、速水健朗さん、加藤貞顕さん、中川淳一郎さんなどはみな73年生まれで、ロスジェネ世代の先頭に当たる。こう見ると華やかなラインナップに見えなくもないが、世代間だけでなく同世代間格差がひどいのもこの世代の特徴ではないか。今名前を挙げた方々はいわゆる”勝ち組”と称される。AV女優でいうところの恵比寿マスカッツたちだ。しかし、マスカッツたちの下に名も無き無数の屍が存在しているように、名も無き者たちは表に出てこないだけだ。

 

これはバブル世代に話を聞いても気付くことだ。バブル世代も団塊世代同様に槍玉にあがることがよくある。「バブル世代」でググってみるとわかるが、予測変換で「バブル世代 使えない」「バブル世代 クズ」「バブル世代 死ね」などが候補として出てくる。散々な言われようだ。世間一般のイメージとして、金遣いが荒く、豪遊して自由気ままに暮らしてきたというのがあるのだろう。だが、これはごく限られた一部の世界、極端な話、東京都心部だけの話だ。

当時関西にいた人の話を聞くと、バブルなどとは全く無縁の生活をしていたという。あれはテレビの中の話で、自分とは違う世界なのだと。バブルの時代でも、農家は変わらず米を作って空いた時間でテレビを見るくらいの変わらない日常が続いていたわけだ。もちろん、人によって実態は様々だろう。私は同世代を生きたわけではないので実体験を述べることはできないが、各人が自分の見た世界を語ることでしか、時代を立体的に浮かび上がらせることはできないのだと思う。

 

ロスジェネ世代も、各人の「自分の場合はこうだった」を積み重ねることでしか、その実態を把握することはできない。私はロスジェネ世代でもない。いろいろなロスジェネ世代の話を聞きながら、あれこれ思いをめぐらすことしかできないのだ。ただ、周囲の影響で、世代論を基に物事を考えることが多い。団塊世代へもあまりいい感情は抱いていない。

しかし、ここでもまた一般論としての団塊世代と、個人的に触れ合う団塊世代では事情が異なる。「ネットでは韓国人が叩かれているけど、自分の友達の韓国人はいい奴だ」という人は少なくないのではないか。それと同じで、個人的に団塊世代に会うと、年金や給料、退職金などの面での圧倒的格差は感じるが、一概に憎めない。「公務員で給料もいっぱいもらって、もうすぐ退職金だからそれで老後も安心!何も心配事なんてねーよ、あっはっはー」などと悪びれるふうもなくあっけらかんと言われてしまうと、こっちは何も言えない。本当に悪気がないというか、ただ何も考えてないだけなんだなこの人は、と冷静に思うくらいしかできないのだ。当然羽振りはないので、下の世代からも嫌われにくい。下の世代も、世代論を意識していない人にすれば、「なんて気前のいい人!僕/私もこんな度量の広い人になりたい」などと思うらしい。正直私はそういう人を見ると、「お、おぅ…」となる。お金のない君らの世代からお金を搾り取って、たんまりお金を持ってるあの世代へ年金を送ってるんだよ、などとは言わない。

 

  • どこまでの正論なら受け入れられるのか

正論、説教について――『ロスジェネ心理学』を書きながら考えていたこと

著者は正論を言い過ぎるという意見に対する、著者のアンサー。私は正論は割と好きだ。だから、身も蓋もないことを言う西村博之さんの意見は、賛同するかどうかは別にして、結構好き。だから正論を糖衣錠に包む必要のない説教相手、とでも言えるのだろうか。

私の好きな本の1つに、山田昌弘先生の『希望格差社会』がある。この本はあまりに正論すぎる。身も蓋もない。若者に対して、「お前らにはもう旨みないから」と平然と言い放つ。文庫版のあとがきだったか、著者が自分が教えている大学生たちに正論すぎて辛いですと苦言を呈されたことを告白していた。たしかに、ようやく苦労して大学に入り、さぁ就職というところで「おめーの席ねーから!」と言われてしまうわけだから、耳を塞ぎたくなるのが普通だろう。

書評は以下に書いた。

書評『希望格差社会「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』山田昌弘(2004初出)(2007文庫)

そして、私はこんなことを述べていた。

 正直この本を読んで、「暗い内容だなぁ...」「現実をつきつけられてどうすりゃいいんだ...」という気持ちになる人もいたりすると思うのですが、何も知らずに「何となく生きづらい」世の中を生きて、「自己責任」だの「若者の甘え」などと世間から罵倒されるのを耐え忍ぶよりは、「現実」をありのままに見つめて、「あぁ、フリーターや就職率の問題は若者の意識の問題だけじゃないんだな」というある種の納得感を得る方が個人的には良いのではないのかなぁと思ったりします。

 これは今でも変わらない。現実を知らないで目先の幸せだけを追いかけるより、現実を知って絶望したほうがいい。知らないと、等身大人生ゲームのプレイヤーにすらなれないからだ。与えられた条件だけで詰みゲーをやらされるなんて、イヤダイヤダ。シロクマ先生の「年相応に大人になりましょう」という話も、そういう意味で正論として捉えられているようだ。私は本全体の読後感としても、そこまで受け入れがたいほどの正論はないように思えた。下の世代として、単なるお説教として受け止めてしまった節があったのかもしれない。だが、『希望格差社会』が持つ身も蓋もなさよりも、温かみを感じた。シロクマ先生は精神科医なのだけど、教育者っぽいなと思った。自分の世代も辛いのだけど、あとの世代の道を作らないといけない、と。先生にお子さんがいるのかどうかは存じ上げないが、子供の有無はそのような意識の分水嶺となっている部分があるように思う。自分だけよければいいという考えでは、子供は守れないからだ。

 

私達は「絶望の国の幸福な若者たち」らしいが、私はそこまで幸福に満ちた毎日は送れていない。無邪気に毎日幸せや幸福を叫ぶ友人・知人は周りにいるが、少なくとも私は彼ら/彼女らほど無邪気に幸福の実感を主張できない。物質的豊かさだけが幸せの指標ではないし、金持ちでもあまり幸せそうじゃない人がいるのも事実だが、幸福を叫ぶ人は大体お金に困ったことがない人だ。私も明日の生活を困窮するほどのレベルになったことはないが、経済的余裕は気持ちの余裕にも繋がることは間違いない。ただ、目先の幸せに安住して何もしなかったら、その先にはあまりいい未来は待っていない、というのは誰もが薄々気付いている。シロクマ先生も、若い時の5年、10年の積み重ねを甘くみてはいけないと警鐘を鳴らしていたが、これはほかの先輩諸氏も口を揃えてお説教してくださるところだ。若いうちはなかなか実感しにくいが。。

 

  • ネットを見たら、どこもかしこも婚活・恋愛
先日、奇刊クリルタイというサークルで、「婚活特集」の同人誌を出した。
奇刊クリルタイ7.0

奇刊クリルタイ7.0

シロクマ先生も寄稿しておられる。「はいはいステマ乙」という言葉が聞こえそうだが、残念ながら売上が私の収入になるようなことはないので、もう少しお付き合いいただきたい。私自身、今回の特集に携わるまで、婚活というものを遠い遠い世界の、自分とは無縁な話くらいに思っていた。だが、いざ同人誌を作る段階になった時、今のネットに婚活や恋愛に関する情報が溢れかえっていることに気付いた。Facebookの広告、ネットメディアの記事や広告、どこもかしこも街コンだの婚活だの、恋愛のライフハックだので占められているのだ。つまり、少なからず需要があり、市場が形成されつつあるということだ。
 
実際に婚活の現場に取材にも行った。それはオタク婚活で、アニメやゲームが好きな男女が集まる場だった。本誌にオタク婚活会社代表のインタビューや、各婚活サイトの比較など詳細が書かれているが、そこにいたのはごく普通の男女だった。きれーな姉ちゃんに、仕事ができそうな男たち。個人差はあるが、そこらへんを歩いている男女を捕まえて引っ張ってきた感じで、特にオタク臭い感じはしなかった。もちろん会話が始まると、アニメやゲームの話題に花が咲くのだが、見た目ではわからない。しかし、このような場に来ているということは、日常生活で出会いがなかったり、なかなか恋愛がうまくいかなかった人たちなのだろう。そう考えると、異世界の話という感覚はなくなってきた。田舎の友人はちゃっちゃと結婚して子供もいるが、東京に住んでいる友人たちはやはり独身が多い。他人事ではないというのは、何となくわかってくる。
山田昌弘先生は、「職業の領域」「家族の領域」「教育の領域」でそれぞれ「リスク化・二極化」が進むと指摘したが、婚活は「家族の領域」の話だ。「職業の領域」の話は誰もが日々危機意識を持っているところだろうし、子供ができれば「教育の領域」の話も他人事ではない。だが、30代半ばにもなると、パートナーがいないことに焦りを感じる。そういう需要を狙ったのが今回のクリルタイ7.0だった(と私は思っている)。シロクマ先生も、恋愛や結婚については多くの頁を割いて著書の中で書いていた。それだけロスジェネ世代にとってパートナー探しは喫緊の課題なのだ。若い世代も他人事とは思わず、若いうちからいろいろ手を打っておきなさい。そういうメッセージも読み取れる(勝手に私が読み取った)。

 

最後に余談。以前書いた

【書評】『あかほりさとる全書』を読んで、あかほり作品やアニメ業界について考える

で、Twitterで「これだから年寄オタクは…」みたいな意見をいただいた。本文中のなかで、「年を取ると云々」みたいなことを書いたので、恐らく私を30代後半のオッサンくらいに思っているのかもしれない。そういうところはネットの面白いところではあるが、とりあえず違いますとだけ言っておく。それ以上は特にコメントはない。

はてなブログのほうでは割と理屈っぽい話が多いが、お金をもらっているわけでも、仕事でやっているわけでもないので、厳密に1つ1つ裏を取りながら書いているわけではない。責任を放棄したという意味ではなくて、文責はもちろんあるが、これは私の視野の範囲での話ですということははっきり述べておく。それは誰しもに当てはまる話だと思うが、反例を挙げて反論されても、参考意見にはなれど決定的な批判にはならない。ディベートよりはディスカッションのほうが生産性があると思っているし、いろんな意見が散見されることで新たな気付きにも繋がって

いく。そんな思いから、今日もこうして駄文を書き連ねていく。

 

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

 

サインもいただきました。もふもふ~!!