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オタクヒエラルキーはどのように形成されるか? 「量」の男と「質」の女

オタクというのは、特定の分野についての知識量が相対的に多かったり、思い入れが強かったりすることからそう呼ばれている。しかし、オタクとは本来自分自身とその対象物との関係性に閉じているはずのものなに、そのコミュニティ内部には歴然とヒエラルキーが存在しているように思える。

 

それはまず、私自身の経験から来ているとも言える。私は浅く広くの人間であり、アニメ・ゲーム・漫画・ゲームと昔から一通り興味があるため、それらのジャンルに興味がない人間にとっては「オタク」と認定される。しかし、同じ趣味を共有する人間からすれば、「にわか」認定をされてしまうわけだ。例えばここ数年だとAKB48熱が高まっていた時期があったが、それがピークだった3年前においても、AKBオタクヒエラルキーの中では底辺に位置づけられていたのではないかと邪推する(価値付けの尺度については後述する)。あえて例えるなら、私は「マリみて」の鳥居江利子のような心性を持っている。つまり、浅く広くそこそこのことはできるが、ホンモノには太刀打ちできないし、それに勝とうとする努力もしないのだ。実際に特定のジャンルに熱を上げた時はほかのことが疎かになるほどその対象に埋没していくが、それは他者と比較して自分の優位性を示そうとする心性とはあまり関係がない。

 

そして今度は一般論に入るが、オタクヒエラルキーの序列化の尺度として、男性オタクは「オタク歴・投資金額・イベントの参加回数」などの「量」を重視し、女性オタクは「対象への愛の深さ」や「思い入れの深さ」などの「質」を重視しているように思う。またAKB48を例に引いてみたい。一時期AKBのTO(トップ・オタ)と呼ばれる人物たちがテレビに頻繁に露出している時期があった(2,3年前だったように思う)。もちろん彼らがAKBファンの代表として表象されることが視聴者的にはわかりやすいというテレビ側の都合もあるだろう。そして、番組上で、彼らはファンの間では「ネ申」と崇められている存在であるという紹介がなされる。その根拠としては、「まだ劇場に観客が10人に満たないような初期からAKBオタをやっている」、「自身の稼ぎを全てAKBに投資し、大量のCDを所持している」、「劇場に何度も通うことによって権利が得られるメンバーとの撮影写真を何枚も所持している」など、とにかく数や量に対する尺度によって全てが決定されているのだ。なので、この尺度で言うと、1人目のファン歴が長いオタクより高いヒエラルキーに位置することは物理的に不可能であるし、ほかのTOにしても常人がその人生を真似することは容易ではない。また、AKBの場合は投資金額に応じてメンバーの総選挙の順位が上がるというパトロン制度もあるため、エクストリーム投資バトルまで行なっていることになる。ほかには、「知識量が多い」ことも挙げられるだろう。とにかく詳しいことが偉い、という風潮だ。これは鉄道オタクがその知識量を競う形でのみテレビのクイズ番組等で取り上げられることからも、その知識偏重(と我々も思わされている)っぷりがうかがえる。

 

一方で女性オタクはどうか。もちろん、男性オタクのような「量」の尺度もあるだろう。しかし、女性のほうが男性よりも対象への愛情の深さを重視する傾向があるように個人的には感じている。これは女性オタクが「量」を競う場面をメディアなどを通してあまり見かけないこともあるが、周囲の女性オタクを見ていても、あまり「量」を競おうとする者がいない。というより、そもそも「オタク度を競う」という概念希薄なのかもしれない。好きなキャラクターやアイドル、声優などがかぶることでシンパシーを感じてそのキャラの良さや声優の魅力を語り合うことこそあれど、そのコミュニティ内部で序列化を行うような風土がない。いわゆる「古参」オタを尊敬し、持ち上げるような言葉を聞いたことはあるが、そこで聞かされるのは知識量の凄さよりも、むしろ「キャラクターや物語自体への愛情の深さ」だ(特に男性声優・BL界隈)。

 

これらのことから、一般的に男性オタクは「量」という尺度によってオタクヒエラルキーの序列化を行い、女性の場合は「質」によってそれが行われるという仮定が導き出される。これらの違いは、男性が一般的にオタクヒエラルキー内で自己承認欲求を満たそうとする一方で、女性は同じ趣味同士での共感を基盤とするコミュニケーションを志向しているからだという解釈もできる。

 

しかし、辻(2007)[『それぞれのファン研究』風塵社]で指摘されるように、ジャニーズファンの間では、推しメンがかぶった時に、その相手に対して「怪文書」が送られてくるという女子らしい陰湿ないじめが行われるというのだ。これはAKBオタクの間では私が見る限りは見られなかったように思う。というより、むしろ推しメンかぶりは同士を見つけるという意味で、歓迎すらされるべき行為であるはずだ。好きなものを共有したい一方で、好きなものがかぶると敵意をむき出しにするというダブルスタンダードを行う気難しさを備えているのが「女子」というものなのかもしれない。

 

オタクとしての人生は人の数だけあるはずだ。知識量を見せつけて相手に劣等感を与えることも、もちろん怪文書を送ることも多様性の維持という意味では歓迎されるものではないはずだ。でもやっぱり詳しくなったら知識をひけらかしたくなるよね、私もそうです。

 

それぞれのファン研究―I am a fan (ポップカルチュア選書「レッセーの荒野」)

それぞれのファン研究―I am a fan (ポップカルチュア選書「レッセーの荒野」)