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【書評】『ウェブで政治を動かす!』 ―私の考える津田大介像―

私は津田マガを購読している。ゆえに、本書を購入した。ひとまずこのことを念頭において、本文を読んでほしい。本の内容に詳しく触れる意味での書評は後半に回すとして、まずは文字通り「メディアの現場」の最前線を伝えている津田氏は私にとってどのような位置づけなのかを書き綴ってみたいと思う(と書くとわかりにくいが、とどのつまり、Twitterや津田マガ、その他津田氏が出演するメディアを介して私が何を考えたのかを語りたい)。

 

  • 私にとって津田氏は高感度アンテナである

最近はようやくネットの情報に課金する動きが出始めたが、やはりまだ抵抗のある人も少なくない。そこで私が津田マガを購読していると言うと、信者認定をする人がたまにいる。しかし、それには前フリというか、文脈がある。「tsudaる」という言葉が流行ったり、津田氏がニコ生に頻繁に登場していた時(09年前後だと思われる)から、継続的に津田氏の動向を追いかけている部分があるからだ。

 

事実、津田氏の活動がきっかけで著作権の問題に興味を持って、最近だとこんなシンポジウムにも出向いたし→(TPP導入で同人全滅。そしてエロパロはどこへ行くのか@日本マンガ学会)、書評だって書いてしまっている。→(【書評】『情報の呼吸法』津田大介著

 

著作権関連のシンポジウムを聞きに行くなど、以前なら考えられないことだった。また、津田氏が出演するメディアも都合が合えば視聴しているほうだと思う。著書も単著、共著問わず「Twitter社会論」「日本人の知らないウィキリークス」「思想地図β2」「情報の呼吸法」「動員の革命」など、読み続けてきた。信者だと言われても仕方のない部分もあるのだ。

 

そして、入場待機があった時代からニコ動を使っているにもかかわらず未だにniconico一般会員である私が、津田マガにはいとも容易く課金してしまった。信者の条件は揃ってしまったように思える。だが、このことについては既に「ニコ動名誉一般会員の私が、なぜ津田マガに課金してしまったのか」で言及している。ここでは、「津田氏の考え方のモノサシを得るため」という趣旨のことを述べたつもりだ。事実、同じニュースを見ていても、自分だけでは全く思いつかなかった見方を提示してくれることがある。私はこの体験には課金する価値があると判断したのであって、決してファンクラブ気分でお金を落としたわけではない。

 

実はもう一つ理由がある。それが今回「ウェブ動」を読んで再認識したことなのだが、私にとって津田氏は「メディア」や「ジャーナリズム」というキーワードに関連する「高感度アンテナ」なのだ。RSSリーダーにおける、とても有能なフィードの一つとでも言おうか。津田氏自身(もしくは島田裕巳氏だったかもしれない)が、「パーソナルメディア」と表現するように、情報の「ハブ役」であり、生きるメディアなのだ。このことは、津田氏の最大の特徴の一つであり、これまで、そしてこれからの仕事についても一貫したスタンスとなっていくのではないかと思っている。つまり、どういうことなのか次で述べたい。

 

  •   津田氏の生命線は「速さ」・「多さ」・「津田氏が動き回れること」

なぜ私は「ウェブ動」を通して津田氏の「アンテナ」的部分を再認識したのか。誤解を恐れず乱暴に言うと、津田氏の本は基本的に「思想なき<速く・膨大な>事例集」なのだ。「ジャーナリスト」という職業なので当たり前でもあるのだが、例えて言うなら、思想家というよりは歴史家なのだ。現場主義で経験主義で、実務家だ(そうではない歴史家もいるが)。

 

「ウェブ動」はあまり売れていなくて、Kindle版が最も売れているということを本人が言っていたが、事例集なので、検索しやすい電子版で購入するのは当然の帰結のように思える(もちろん、安売りセールを行ったことや、津田氏の読者の電子端末所持率が高いなどの理由もあるが)。私は所有感が欲しいアナログ人間なので紙で購入したが、読み返すとしたら何かの目的で「使う」時しかないので、電子版のほうが利便性が高かったなとあとから後悔していたりもする。

そもそも本が売れないというのなら、それは冒頭に書いたように「津田マガ」読者が主な読者層であり、それより外には届きにくい市場が形成されつつあるからではないのかと思う。今でこそテレビにも露出しているが、私は最初なぜテレビに出演しているのか不思議だった。目的は何なのか。付き合いもあるだろうが、宣伝としてプラスになるから出演されている部分もあると思う。だが、実際には本の売上やその他の主な活動に対して直結してないのではないかと思っている。

 

「思想」に話を戻したい。ボリューミーなことがウリである津田マガは、津田氏自身がほとんど執筆していない号でも、読者の大半はその事実に気付かないし(『熱風』で言及されている)、それで成り立ってしまっている。中身のほとんどは出演したメディアの再構成であり、世界各国の「メディアの現場」の最前線の情報だ。津田氏が書いているのは、主に「デジタル日記」と「Q&Aコーナー」くらいだ(自身が一人二役をこなすインタビュー記事もある)。つまり、速報性の高い膨大な事実の羅列が圧縮されたものだ。

 

なぜあえてこんなことを言ったのかと言うと、津田氏が新政治メディア立ち上げをライフワークとして行おうとしているからだ。津田氏が様々な人物に声を掛けていることは把握しているが、津田氏の思想が見えないまま政治メディアができていくことに戸惑いを覚えている。日々動き回る津田氏には最新の情報や面白い人物が集まってくるが、津田氏自身の考えを深め、メッセージを発信するほどの暇はない。これも本人が述べていたことだが、津田氏の特徴は「透明であること」なのだという。私が「思想がない」と感じる部分は、ここに通じるのだと思う。要は「透明であること」をどう捉えるかだ。情報の「ハブ役」が強烈にメッセージをねじ曲げてしまうことを嫌う人もいるが、ただ情報を圧縮・編集して通過させていく「透明な」存在であるということは、個性がないということでもある。

 

つまり、今の津田氏を支えているものは、各国のメディアの現場の最前線を最も「速く」、最も「多く」知っているということだ。なので、ここを崩されるか、ほかの人物に侵食されるとマズイことになると予想している。このことは津田氏のこれまでの仕事や、これからの仕事にも通じるものであると思う。「津田氏が常に動ける状態にある」ということが、チーム津田の生命線なのだ(塀の中に長期間いても何とかなってしまっている堀江氏とも異なるわけだ)。津田氏がマスメディアに露出する理由も、このことに関係しているのではないかと思う。津田氏の武器は、いわば「引き寄せる力」だと言える。

 

  • 「ウェブ動」は「使う」ための読み物

好き勝手乱暴な見解を述べてしまったので、最後に本題である「ウェブ動」の内容に触れたい。興味感心が近いこともあって、私自身は楽しめた。ただあくまで事例集なので、既知の事例が多い人にとっては退屈に写ってしまうと思う。Twitterでも、「既刊本で見た内容」という批判であったり、「既刊本で見たという批判は批判にならない」という批判返しまであったりと、何やらややこしいことになっていた。私自身は、政治自体への強い関心というよりは、「自分にとって使えるかどうか」「自分の分野に応用できるかどうか」が主な読書目的だ。著者の意図とはズレているかもしれない。

 

個人的に気になった点は4つほどある。

世耕参議院議員のTwitter活用例

自民党の世耕参議院議員は、自身の選挙区である和歌山県民をTwitterのリストに入れて管理しているとのことで、これは民間企業が顧客をリストに入れて顧客の本心を垣間見ることにも使える(もう使っているところもあるが)。だが、鍵を付けないで一企業がこれをやってしまうと、気持ち悪がられることもある。例えばソーシャル就活などがいい例だが、企業の採用アカウントが、就活生と思しきアカウントを片っ端からフォローしたりリストに入れたりすれば、当然警戒されるだろう。

 

若者の政治への無関心(を解消する)

若者の政治への無関心は、周知の問題であると思う。私はその問題を少しでも改善するには2つの方法があるのではないかと考えた。

 

1つは、「好きなものを楽しむ権利が侵害されそうだよ」と煽ること。もう一つは、「祭り感やリアルタイム感を出すことで、このビッグウェーブに乗らないと仲間外れになっちゃうよ」と煽ること。

 

ただ煽ってるだけのように見えるが、要は私の場合がこのパターンだったのだ。前者は「ゲーム」「漫画」「アニメ」「同人誌」などから派生した著作権等の問題だ(上記のまんが学会のリンクでも書いたが、エロ同人誌がなくなっても私はあまり支障がない)。これまで政治(もしくは自分たちが権利を持つ「市民」だという意識)について考える下地が用意されていないのが日本の社会であったと思うので、身近な自分の趣味を「侵害されたくない」という気持ちが一番原動力になるのではないかと思う。

 

そして後者は、例えばニコ生のような若者がメインユーザーであり、なおかつリアルタイム性に優れたメディアが活躍するのではないかという考えだ。方法はシンプルで、より多くの政治番組を作るだけだ。ユーザー討論会のように、マスメディアではできないような番組を作るのもいいと思う。ただ「視界に入る」だけでも、従来の視界にすら入らない状態よりはマシだと思えるからだ(投票にまで結びつくかはわからないが)。結局、正論では人は動かないので、「何か楽しそう」と興味を持ってもらうしかないのだと思う。

 

ネットメディアに過度な無謬主義を持ち込まない

マスメディア/ネットメディアの対立軸もよく見る構図だが、やはり津田氏も以前から述べているように、両者は対立するものではなくて役割分担をしてくれたほうが社会全体にとってはプラスになるのではないか。「マスメディア=検証・考察、ネットメディア=速報、事実報道」というような分担、協力だ。ネットメディアでは、不確定な情報でも新しい情報は流していくべき、という考えにも共感できる。メディアとしての信頼性や裏を取ることももちろん大事であるが、従来のメディアが持つ過度な無謬主義をネットメディアに持ち込む必要はないと感じた。やはりそこは役割分担で、ネットメディアはその身軽さが活かせる使い方をしなければ、その特性が半減してしまうように思える。

 

世代間のデジタルデバイト 偉大な孫の力

孫の力」という雑誌がある。「孫旅」なる言葉もあると聞いて、いよいよ露骨なビジネスが闊歩する時代になってきたのだなとしみじみ思った。少し余談になるが、某サービス会社では明らかに高齢者狙いの超初歩的なPC操作説明で数千円を支払わせる仕組みになっていた。これらは全て「高齢者」がターゲットとなっている。そして、デジタルデバイトの問題も、そのまま「高齢者」が不利益を被る構図になってしまっている。ネットを使えるか、使えないかの問題だ。

だが、ネットの使用に関しても文字通り「孫の力」が凄まじいエネルギーを発揮しているというのだ。本書で紹介されていたのは海外の事例だが、私は国内の某IT企業からも同様の話を聞いた。孫とコミュニケーションを取ることが原動力となり、携帯電話を購入し、メールを駆使し、ネットを操り、画像の加工までしてしまうらしいのだ。「孫」という強い動機さえあれば、小難しいネットでも自在に操ってしまう能力を持っているということだ(つまり、元々能力はあるのだ!)。「動機さえあれば行動する」という意味では、若者の政治参加に通じるものがあるかもしれない。冗談まじりで「投票するとガチャが引けるとかすればいい」というツイートを見かけたが、現代社会の中では、とどのつまりそういうことなのだろう。

 

 

好き勝手書いてしまったが、私は津田氏のことは尊敬している。あれほどの分刻みのスケジュールを毎日休みなくこなすのは本当に気の遠くなることだろうと思うからだ。時の人となってしまった津田氏が今後どのような方向へ進んでいくのか、一読者としてこれからも注目したいと思う。

 

ウェブで政治を動かす!

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