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裏うぉっちング!!!

オタク、サブカルなどの理屈っぽい話はこちらで。

【イベント】斎藤環×海猫沢めろん「ネコミミとリーゼント オタクとヤンキーの精神分析」に行ってきた

オタク・ヤンキー・サブカル イベント

 


9/29に荻窪ベルベットサンで行われたトークイベントに行ってきた。実は荻窪は縁遠く、ほとんど下車した記憶がない。ただ、中央線沿線特有のサブカルっぽさが漂っており、小劇場のような建物や古書店が並んでいた。若い女性が肩から下げる黒くて小さいバッグが、中央線フィルターでほぼ一眼レフに空目できるくらいの感覚で街を歩いていた。

 

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今回のイベントは、斎藤環著『世界が土曜の夜の夢なら』をベースに行われたのだが、いかんせん飛び込みで参加したので未読だった。また、斎藤環氏の他の著作には目を通していたが、海猫沢めろん氏についての予備知識がゼロだったので、豹柄の服を着たホスト風イケメンが登壇していて驚いた。しかも、経歴がかなり特殊で元ホストだったらしい。しかも、元ホストだっただけに(本人は辞めたくてしょうがなかったらしいが)話が上手で、キャッチーな言葉で度々観客をわかせていた。一方斎藤氏は冷静な分析で硬軟織り交ぜて語っていたので、二人の対比がバランス的に良かったと思う。

 

肝心のイベントの内容はと言うと、一言でいうと「オタクとヤンキー」の話だ。斎藤氏の「日本人は早い段階でオタクかサブカルに逸れないと、みんなヤンキーになる」という言葉には笑ったが、ナンシー関の言う「銀蝿的なもの」は日本人に深く根付いているらしい。ちなみに、私は恐らくオタクに逸れた人間なので、ヤンキーとの親和性は低い(と思っている)。両氏の話を聞いていると、余計にそう思えてくる。

 

  •  「身体性」を通して見る、ヤンキーとオタクの親和性

 

だが早々に、「身体性」という言葉をクッションとして、ヤンキー(的なるもの)とオタクの親和性を提示された。ソーラン節とヲタ芸の比較動画を見せられたのだが、これがまぁよく動きが似ている。動きだけでなく、音も似ている。会場はわいていたが、ソーラン節には嫌な思い出があるので、一人苦笑いをしていた。どれくらいの世代からかは定かではないが、「学生時代にソーラン節を踊らされた世代」というのが存在する。もちろん強制的に。海猫沢氏が見せてくれたソーラン節の動画は、金八の動画だった。原っぱの上で生徒たちが全力でソーラン節を踊り、それを金八と問題を抱えていた生徒、そしてなぜか警察官が真剣な眼差しで眺めるというかなり滑稽な場面だった。そして、学生時代にソーラン節を踊らされた時、何を隠そうこの動画を参考動画として死ぬほど見せられたのだ。金八に影響を受けた熱血教師、そしてこういう時だけなぜか率先してはりきるクラスのヤンキーたち。真面目にやらなければシメられる(ような雰囲気)。ヤンキーゴーホームと唱えながら、精一杯懸命なフリをして金八ごっこに付き合っていた。動画を見ている最中は、記憶が完全に蘇っていなかったので、無意識の苦笑いだった。余程思い出したくない過去だったらしく、本当に心の奥底に閉まってあったらしく、帰宅中にじわじわ思い出したくらいだ。

 

  • ヤンキーとは何なのか

 

 話が逸れたので、ヤンキーに話を戻したい。

イベント内における、ヤンキーと結びついた単語やヤンキーの特徴は以下の通りだ。

「ノリ」「気合い」「アゲ」「祭り」「家族主義」「伝統」「母権主義」「ヘテロセクシズム」「仲間意識」「ホモソーシャル」「成り上がり」「下剋上」「反・知性」「地元志向」「心でっかち」「全国制覇」「実利主義」「適応力の高さ」「学校=セカイ」などなど。

 

斎藤環氏は、これまでのフィールドワーク中心のエスノグラフィーや「不良文化」中心のヤンキー論に対し、自身は「バッドテイスト」文化全般を扱ったことを強調していた。もはやヤンキーが何を指しているのか定義付けることが困難な印象も受けたが、概ね上記の単語にビビッとくる人がヤンキーということでいいと思う。これらのキーワードの中から、面白かったものをいくつか挙げてみたいと思う。

 

伝統」:海猫沢氏から、ヤンキーは伝統を重んじるので「ネットワークビジネスと親和性が高い」と述べており、自身も地元の友人から勧誘の練習をさせられた旨の発言をしていた。ヤンキーは口べただから、勧誘するにも練習台が必要なのだ。こういう時こその、マブダチ。泣かせる話だ。また、途中登壇した「特攻の拓」の漫画家の所十三氏は、ヤンキーたちは世代を超えて同じヤンキー漫画を読んでいる事実を指摘する。先輩が勧めた漫画は、必ず読まなければならない世知辛さも兼ね備えているのだ。

 

家族主義」「母権主義」:ヤンキーは家族をすごく大事にする。ボクシングの亀田興毅も、いまや子供の話題ばかりブログに書いているらしいということで、早速ブログを拝見したが、関西弁の辻希美のようなノリで驚いた。家庭を大事にしたい女性はヤンキーと結婚するのが良いらしい。婚活にもヤンキー枠を作ればいいのにと思ったが、口ベタだから恐らく逆効果だ。また、ヒップホップで「カーチャンマジ感謝」な曲は度々耳にするように、家族の中でも父ではなく母なのだ。

 

実利主義」:ヤンキーは実利的だという話。ヤンキー上がりの政治家、弁護士、税理士などはいるが、ヤンキー精神分析科医や、ヤンキー思想家はいない。彼らは、実生活に役に立たないことには興味がないらしい。途中、「日本でヤンキーがいない空間は存在するのか」という話題になったが、実利のない分野はヤンキー的なるものが排除された空間ではないのか。

 

ヘテロセクシズム」「仲間意識」「ホモソーシャル」:ヤンキーは仲間意識が非常に強く、なおかつその男同士の友情は異性愛でなければならない。終盤で、これまた途中登壇した速水健朗氏から、「ヤンキーとBL」についての疑問が投げかけられたが、もちろん誰もが門外漢なのでわからない。「お客様の中にお医者様はいませんかー?」のノリで、「お客様の中に金田淳子さんはいませんかー?」状態になっていた。金田さんがヤンキーの話をしているのは聞いたことはないが、すごく好きそうだなと勝手に思った。

 

成り上がり」「下剋上」:斎藤氏は、「今時代を二分するAKB48もEXILEもヤンキーだ」と言った。後者は360度どの角度から見ても納得だが、AKBは「成り上がり」や「下剋上」というヤンキー的システムや心性が関係しているらしい。もちろん、「マジすか学園」のハマリ度も関係している。総選挙やピラミッド型のAKBのシステムそのものが、ヤンキー的なのだと。そういえば、マガジン連載中の「AKB49」のユニット名はGEKOKUJOだったような。また、余談だが、EXILEがデビューする以前、同じようにオッサンが歌って踊るユニットが存在した。秋元康プロデュースの「野猿」だ。今思うと、AKBとEXILEが席巻する日本は、秋元康の手のひらで踊らされているのだと速水氏は指摘していた。

 

心でっかち」:「気合い」に通じる部分であれば、とにかく「心を入れ替えれば何とかなる」という心性の持ち主に対して使う単語のようだ。まずはその偏った考えを持った心を入れ替えて欲しい。

 

学校=セカイ」:斎藤氏は、「ヤンキーは労働力との親和性がない」と言う。社会に出て辛い現実を直視すると、「全国制覇」などという大言壮語は吐けないからだ。どういう流れかは忘れたが、この後「織田信長は人格性障害」という謎の指摘が入った。

 

※番外編

海水浴」(速水氏):原発事故後、放射能の危険も顧みず海水浴に出かける人は全員ヤンキーとのこと。

 

クラスのかわいい女は大体ヤンキー」:斎藤氏言及。ちなみに斎藤氏の前妻は元ヤンだったという衝撃の情報も開示された。

 

 

先ほど特殊な経歴と述べたが、海猫沢めろん氏は、高卒→工場→ホスト→ヤクザ→現在、という経歴のようだ。元ホストであるのにお酒は飲めないらしく、夜のイベントにも関わらず飲み物はオレンジジュースだった。地元の姫路には、ヤンキー街やヤクザの事務所が多く存在し、ゴミ捨て場には実話誌に混じって、よく歴史漫画が捨てられていたらしい。ヤンキーは歴史好きらしいが、もちろん活字は読まないようだ。

 

そして、最も衝撃だったのが海猫沢氏が卒業した高校だ。「日生学園」という名で、ダウンタウンの浜ちゃんや、ソフィアのドラム(だったような)も同級生だったとのことだ。Youtubeにその動画が残っている。


日生学園第二高等学校

 

テーマは「全力」だそうで、早朝から全力で大声を張り上げ、床を磨き、トイレを素手で洗っている。さすがに今はここまでではないらしいが、とても日本とは思えない風景だ。300人入学で卒業できるのは150人というのも驚きだが、進学率は0.5%とのことだった。さらに、進学先は自衛隊、工場、ヤクザ...と一部更生していない。こんな状況で勉強なぞできるはずもなく、こんな生活が300日以上続くと考えただけで洗脳されそうだ。

 

こんな異色な経歴を持つ海猫沢氏だが、元々はオタクとのことだった。アニメが大好きで、3次アイドルには興味がないと言う。氏は、2次アイドルと3次アイドルには断絶があることを強調していたが、私はむしろその境がなくなってきているのが現代なのではないかと思う。氏は、3次アイドルは現場に行かないといけないのでついていけないし、その身体性はむしろヤンキー的でもあると述べたが、私も実は現場には行かない。もっぱらのテキスト系3次アイドル好きだ。番組や活字をもっぱら消費していくだけだ。しかし、現在は初音ミクのようなバーチャルアイドルですら、現実世界のコンサート会場に人が集まり、ライブを行う。そこには現実と虚構の入り混じった身体性が存在しているのではないか。また、氏の「ヤンキーがオタクになることはありうるけど、オタクがヤンキーになることはない」という主張は概ね同意したい。むしろ、ヤンキー系オタクを拝見してみたい。

 

もう一つ面白かった指摘が、「オタクは自身をオタクとは呼ばない」ということだ。私なんかは、初対面の人間やテキストのみでのやり取りでは、面倒くさいので「オタクです」と言ってしまうことがよくある。しかし、自称オタクは、よく「にわかですけど」という一言を添えたがる。「自分よりもっとすごい人がいる(だから自分はまだまだ)」という心性からくるものらしいが、そのいらぬ謙遜によって、余計にオタクくささを増しているように思う。また、ヤンキーもカテゴライズされることを嫌うため、自身をヤンキーとは言わないらしい。「アウトロー」なのだと。何となく、窪塚的な何かを感じる。

 

また、「オタク論を語るには実作品を持っていたほうが受け入れられやすい」という話で、岡田斗司夫氏や東浩紀氏の話題が出た。フラクタルのフの字も出なかったので、穏便に事は進んだ。

 

ヤンキー漫画

 

少しわかりづらいが、海猫沢氏自作のヤンキー漫画の分類だ。縦軸が「内的-外的」、横軸が「ギャグ-シリアス」で分けられている。

 

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実は今回、後半のほとんどがこのヤンキー漫画についての話だった。私自身、この表の中で馴染みがあるのは、「今日から俺は!」「闇金ウシジマくん」「エンジェル伝説」「けいおん」くらいのものだ。(けいおんは、ギャグ、外的の頂点)。ちなみに、ど真ん中にはワンピースが陣取っている。海猫沢氏自身が大きく影響を受けているらしい右上の「左木飛朗斗サーガ」と呼ばれる部分が、主題でもあった。自身の原稿を「楽譜」と呼ぶ左木先生の個性的なエピソードは初見でも十分楽しめるものだった。また、左木先生は自身の漫画を「ヤンキー漫画」とは呼ぶと心外な反応をするらしい。ラルクをビジュアル系バンドと言ってはいけないようなものなのだろうか。

 

いろいろと書いてきたが、他にも「荒木飛呂彦はヤンキーを描けない」という話や、「霊柩車はバロック。日本が誇る最高のデコカー」などの名言が多く飛び交った。私自身、サブカルがどの範囲を指しているのか未だに把握できていない部分があるが、ヤンキーについての理解は少し深まったように思う。いや、深まったつもりが、むしろ遠い存在であることを認識してしまった。友人のヤンキーが、愛車の画像とともに謎のポエムをネットに書き連ねていく様子を、これからも生温かく見守りたいと思う。